和田義盛|初代政所別当を務めた弓の名手。三浦一族で鎌倉殿の13人の一人。

和田義盛|初代政所別当を務めた弓の名手。三浦一族で鎌倉殿の13人の一人。

2022-01-12

和田義盛(わだ よしもり)

1147-1213。三浦一族の庶流で、鎌倉幕府の初代政所別当。
和田小太郎、和田小太郎義盛、和田左衛門尉義盛と書かれることも。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、横田栄司さんが演じられます。

和田義盛の簡易年表

年代年齢出来事
久安3(1147)年0杉本義宗(三浦義明長男)の子として誕生
治承4(1180)年34頼朝の挙兵
従兄弟「三浦義澄」らとともに三浦半島を出立
小坪合戦→衣笠城合戦
元暦元(1184)年38平家追討のため、源範頼の軍奉行として従軍
文治5(1189)年43奥州合戦に従軍
建久元(1190)年44頼朝の上洛で先陣を賜る
建久3(1192)年46侍所別当職を梶原景時に奪われる
建久十(1199)年53十三人の合議制に列する
梶原景時の変で侍所別当職に復職
建仁3(1203)年56比企能員の変で、比企氏討伐に加わる
元久2(1205)年58畠山重忠の乱。北条側の大将軍として出陣
建暦3(1213)年67泉親衡の乱。和田義盛の子らが関与していたことが判明
和田合戦にて、三浦義村に裏切られ敗死

三浦一族の系図

和田義盛は、三浦と名乗っていませんが、れっきとした三浦一族です。

元々、長男筋だったのですが、父「杉本義宗(1126-1164)」が三浦の家督を継ぐ前に亡くなってしまったため、三浦嫡流の家督が弟の三浦義澄に渡りました。

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三浦義明(1092)
 ├---------┬---------┬------┬--------┬
杉本義宗(1126)   三浦義澄(1127)   佐原義連 (?)  源義朝室      畠山重能室
 |         |                 |        |
和田義盛(1147)  三浦義村(1168)         悪源太義平(1141) 畠山重忠(1164)
 |
朝比奈義秀(1176)

和田義盛は、相模国三浦郡和田の里を領し、和田姓を名乗りました。

三浦義明は子だくさんで戦略家でもあり、娘を有名御家人に嫁がせたりしているため、源頼朝の異母兄である悪源太義平や畠山重忠が従兄弟になります。

和田義盛周辺の系図

和田義盛の父「杉本義宗」には、下記系図以外にも子供がいますが、あまり情報(記録)が無いようです。

杉本義宗
 ├------------------┬----┬-----┬
和田義盛                義長   義茂   宗実
 ├---------┬---┬    |    |     |
常盛  朝比奈義秀  義直  義重   胤長  高井氏   中条氏
 |                       └--┬--┘  
和田朝盛                      越後和田氏

義直、義重、胤長は「泉親衡の乱」の首謀者。

泉親衡|源氏再興のために、執権北条氏の打倒を企てた信濃源氏の嫡流-泉親衡の乱
泉親衡(いずみ ちかひら) 1178?-1265?信濃源氏の流れを汲む(嫡流)鎌倉幕府の御家人。和田合戦のきっかけとなった「泉親衡の乱」の首謀者。 https:…
1192-diary.com

その後の和田合戦で、和田一族はことごとく死亡。

義盛の孫「朝盛」は和田合戦で敗れるも運よく生き延びたが、承久の乱で後鳥羽上皇方に捕縛され、その後の動向は不明となっています。

また、義盛の弟で頼朝家子和田義茂の子「高井重茂」は、和田合戦で鎌倉幕府方として戦い、その子孫が越後和田氏として続きます。

父・杉本義宗(すぎもと よしむね)

杉本義宗は三浦半島から出て、鎌倉郡杉本郷に住んで「杉本城(現杉本寺)」を築城しました。

三浦一族の中でも、長男筋だった義宗系統は、北西の鎌倉や南の和田等、三浦の領地を開拓してく役目を担っていたのかもしれません。

弟・和田義茂(わだ よしもち)

杉本義宗が亡くなると、長男の和田義盛は和田郷に拠点を構え、次男の義茂が杉本城へ入城しました。
なお、弓の名手だったため、和田義茂は源頼朝の家子(寝所警護)に選ばれています。

和田義茂|侍所別当和田義盛の弟で、家子に選ばれた弓の名手
和田(次郎)義茂(わだ よしもち) 生没年不詳。和田義盛の弟。三浦一族としては、弓の名手だったこともあり、佐原義連と一緒に家子に選抜されています。 https:…
1192-diary.com

ちなみに三浦一族では、三浦義連(叔父)も家子に選ばれています。

相模国三浦郡和田の里

現在の三浦市初声町和田の範囲です。

広大な台地にキャベツ畑やらスイカ畑やら、のどかな風景が広がる和田。
和田義盛ゆかりの史跡や神社仏閣を巡るのも良いですけど、この和田の空間を感じてもらいたいです。

和田城址付近

和田義盛ゆかりの地

三浦市には和田義盛の名前の由来にもなっている「初声町和田」という住所があり、「和田」という交差点もあります。この付近を中心に和田義盛ゆかりの史跡が点在しています。

京急「三崎口駅」から約2km。バスだと5分程度です。

和田義盛之碑(三浦市初声町和田)

和田交差点を鎌倉方面を前に左折すると100mくらいに「八雲神社」がありまして、その境内の中に和田義盛の碑が建っています。

三浦大介義明の孫で、武勇はことのほか優れ、弓矢にかけてはこの右に出る物がないほどと書かれています。
確かに「吾妻鏡」でも弓に関する内容では義盛が頻出します。

和田城址

和田義盛の居館が有ったとされる場所に建っています。
八雲神社からは少し遠く、分かりにくい場所に設置されています。

三浦YMCA経由で和田城址に向かうと、三浦半島の広大な台地&畑を歩けますので和田郷の雰囲気を掴めると思います。

天養院

天養院は和田義盛ゆかりのお寺。
和田義盛の館の鬼門の鎮護として建立したと書かれています。

このお寺の本尊が「和田義盛の身代わり薬師」と言われているようです。

白旗神社

上記、天養院の近くにあります。本殿に行くまでにはかなり急な階段を登らないといけませんが・・・。
ココの説明板には、町名の「初声町」の由来が書かれています。

由来は、文治2(1186)年平家討伐の時期に遡ります。

来福寺(三浦市南下浦町)

来福寺は和田義盛の菩提寺です。
ですが、初声町和田にはありません。少し離れた南下浦町にあります。

というのも、元々は鎌倉名越(現大町)にあったものを、三浦市和田に移して、さらにここに移ってきたようです。移った理由は良く分かりませんけど、戦火とか、土地開発とかでしょうか?

菩提寺と言うこともあって、寺宝には和田義盛所持の鏡等多く所蔵されているみたいです。

浄楽寺

横須賀市芦名の地にある浄楽寺、開基が和田義盛です。
芦名は三浦一族芦名氏の拠点となった場所。和田義盛と同じく三浦氏の分家です。

芦名は三浦半島の西側で海の向こうに富士山が見え、阿弥陀浄土に例えられる場所。なので、寺院建立地としてえらばれたのではないか?と説明板には書かれています。

ちなみに、この寺院は「日本郵便の父 前島密の墓」があることで有名です。

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