勝長寿院|父「源義朝」を弔う為に創建された大寺院(石碑を読む)

勝長寿院|父「源義朝」を弔う為に創建された大寺院(石碑を読む)

2021-10-13

今回は源頼朝が創建した「勝長寿院(しょうちょうじゅいん)」の石碑を読んでみました。

石碑の有る場所も分かりけりゃ、寺院が建っていたであろう平場跡も住宅が建っているせいもあり、まったく分からず、本当に建ってたの?って疑いたくなりますけど、ちゃんと吾妻鏡には載っております。

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勝長壽院旧跡

勝長寿院旧跡

「勝長壽院旧跡」石碑の場所

勝長寿院の別名は、南御堂又は大御堂。
これを覚えておけば、金沢街道にある大御堂橋交差点で曲がれば良いって、なんとなくイメージできます。

大御堂橋交差点

石碑時代は谷戸の奥に続く細い道の左側にヒッソリとあるので分かりにくいかもしれませんね。

石碑に書かれている文字は?

院ハ文治元年源頼朝ノ先考義朝ヲ祀ランガ為ニ草創スル
所一ニ南御堂又大御堂ト言フ此ノ地ヲ大御堂ヶ谷ト言フハ是ガ為ナリ
実朝及ビ政子モ亦此ノ地ニ葬ラレタリト傳ヘラレルドモ其ノ墓令ハ扇ヶ谷寿福寺二在り

大正六年二月建之 鎌倉町青年會

勝長壽院は1185年(文治元年)源頼朝の亡くなった父「義朝」を弔う為に創建した。
南御堂または大御堂とも言い、この地を大御堂ヶ谷と言うのはこの為。
実朝と政子もまさこの地に埋葬されたと伝えられるが、両名の墓は扇ヶ谷の寿福寺にある。

大正6年2月建立 鎌倉町青年会

※間違っていたらごめんなさい。

事前知識(漢字・用語編)

先考:死んだ父のこと

事前知識(歴史編)

文治元年

1185年。ぶんじ。1185~1190年。後鳥羽天皇の時代。
前元号は「元暦(げんりゃく)」、次元号は「建久(けんきゅう)」

源義朝

源頼朝の父。平治の乱で政清の舅に殺害される。

鎌田政清(正清)

源義朝の乳兄弟で第一の郎党。

吾妻鏡より

義朝の遺骨を南御堂の地に葬る

文治元(1185)年9月3日

午前0時 源義朝の遺骨に鎌田正清の首を副えて、御輿で運ばれ、南御堂(勝長寿院)の地に葬った。

平賀義信、毛利頼隆が神輿を担ぎ、多くの御家人らが供奉していたが、郭外に留められ、連れて行ったのは平賀義信(平治の乱時にお供)、毛利頼隆(父が義朝の身代わりで討死)、大内惟義(義信の子)の三人のみ。

義朝にお供してした親類関係の人物を特に選んだ。

南御堂の供養の導師の件

文治元(1185)年9月10日

園城寺の僧「公顕」が南御堂供養の導師を承諾したことから、京都から下向中の宿所やもてなしなどを御家人らに分担して命じた。担当は、(大江)中原広元(中原)藤原親能。出発日のもてなしは、佐々木定綱が担当する。

翌10月20日、公顕は僧を20人引き連れて鎌倉に到着した。なお「公顕」は後日の永福寺の導師も務めた。

南御堂(勝長寿院)の供養

文治元(1185)年10月24日

天候は晴れ。風は穏やか。
午前4時、御家人の中でもとりわけ健士を選び、辻々を警護させた。

鎌倉時代の三大寺院

鎌倉には、源頼朝が創建した三大寺院というものがありました。
現在もしっかり残っているのは「鶴岡八幡宮」ただ一つ。

永福寺はなんとか史跡公園として、ここに建ってたんだろうな、という想像は可能です。
それに対し、勝長寿院は石碑の周りは、細い谷戸にぎっしりと住宅が立っていて、想像すら難しい状態ですね。

なんとも残念・・・。

鶴岡八幡宮

1180年。由比若宮より遷座。

明治の神仏分離で仏教的要素が排除されて鶴岡八幡宮(神社)になりましたが、昔は鶴岡八幡宮寺といい、八幡宮の最高責任者「別当」は僧侶でした。

3代将軍の源実朝を暗殺した「公暁」は鶴岡八幡宮の別当でした。

また、別当の他に日常の社殿の管理や勤行祈祷を担当したのが25人の「供僧」。鶴岡八幡宮の北側にあって御谷騒動の主役だった場所に供僧の住居「二十五坊」がありました。

二十五坊|鶴岡八幡宮の奥深く、古都保存法のきっかけとなった場所(石碑を読む)

今回は北鎌倉方面から鶴岡八幡宮へ向かう途中(巨福呂坂の終点近く)に置いてある「二…
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勝長寿院

1185年創建。父義朝の菩提を弔うために創建されました。
今は住宅が建っていて当時の寺跡は一切分かりません。。。石碑の近くには、「義朝公之墓」と書かれた棒標と供養塔が建っています。

源義朝公之墓

その隣にあった供養塔は「鎌田政家之墓」。
彼(鎌田政清の方が有名)は、義朝の第一の郎党(従者)。義朝が最も信頼した人物です。

鎌田政家之墓

永福寺

1194年創建。奥州藤原氏や義経等、戦死者の鎮魂と慰霊のため。

この三大寺院はすべて、今の金沢街道沿いに建っています。
鎌倉時代はこの街道が中心だったことが想像できますね!

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